じいちゃん

 

じいちゃんの手術が無事に成功した。

約3時間の手術。

 

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外は雲がほとんどない位の晴天で

なんか絶対成功するって確信持ってたし

手術が終わってから主治医の先生に説明受けたとき

先生から『我ながら凄く上手く出来ました』って

言われた時は凄い嬉しかった。

 

じいちゃんとちゃあちゃんと一緒に生活するようになって、早くも今年で5年目。

5年の間に2人にたくさんの事を学び、

たくさんの愛情を注いでもらいました。

 

家に帰ると、おかえりって迎えてくれて

一緒にご飯を食べる

普通の当たり前のような生活が私にとって

とても新鮮で、嬉しくて

いつしか自分達の子供のような感覚で私のことを受け入れてくれました。

 

その中で、じいちゃんにはどれくらいのことが出来ただろう。

思い返してみても、不器用なじいちゃんとの会話や思い出はちゃあちゃんと比べてみれば少ないことに気づいたんだ。

 

普段からそんなに口数が多いほうではないけど

じいちゃんなりの私への愛情はたくさんわかってる。

 

『明日は仕事何時までな?』

 

当時はこれを度々聞かれてたから

毎日ほぼ一緒だし何回も聞かないでよって

イライラしたりしてたけど

今考えるとじいちゃんは3人でご飯を食べること楽しみにしてたのかもしれないなって思う。

 

手術が終わって、麻酔で朦朧とするじいちゃんを見ていて、色んな気持ちがこみ上げてきたし

今までまじまじと顔を見て

改めて何かを思うこともなかったけど

その時は初めてじいちゃんの年齢を思い知った気がした。

 

シワシワな顔、やせ細った足。

 

いつの間にかすごく歳をとっていたじいちゃん。

 

あとどれくらい 会話ができて

あとどれくらい じいちゃんに触れて

あとどれくらい 笑いあえるんだろう

 

きっとそんなに長い時間はない。

 

 

いつかはお別れがあるってわかってるけど

その間に私にできること

したいのに

なにも出来なくて

思い当たらなくて

 

じいちゃん、がんばろうな!ってしか言えなくて。

 

でも少しでも同じ時間を過ごしたいと強く思う。

 

 

これからリハビリが始まって

どれくらい回復できるかもわからないし

回復しても今まで通りの生活以上には戻ることも難しいかもしれない。

 

リハビリ施設に移ったあとは、また家で3人で生活出来るかはまだわからないけど

どっちにしても1度はまた家に帰ってきて

3人でご飯を食べる日が1日でもあればいいなと思う。

 

私がもっと強くて 力もあって お金もあって

もっともっと大人で居られたら

ちゃあちゃんの変わりにじいちゃんの介護やお世話も出来たかもしれないのに。

 

出来る!やる!と言えない自分が

すごく情けない。

 

 

でも、これから1つ1つ

ゆっくりと

家族それぞれみんなが

いい方向へ進めることには自信もあって

信じてるから、きっとじいちゃんも

じいちゃんにとって一番いい形で

いい方向へ進む気がします。

 

 

じいちゃん、ちゃあちゃん、お父さん、お母さん、

普通に行くと順番で

いつかは必ずお別れがあること。

 

まだそれを受け入れる勇気も余裕も私にはないけど

これだけは わかる。

家族とはかけがえのないものだということ。

 

私はじいちゃんとちゃあちゃんの孫に産まれてこれたことを誇りに思います。

 

 

これから色んなことがめまぐるしく起こっていくのだろうけど、

ありのままに、あるがままに。

小さな幸せも大きな幸せも

全身で感じて受け取って行こうと思います。

 

じいちゃんの痴呆も少し進んでるみたいだけど

まだ私のことも認識してもらえるし

冗談言って笑ったり出来るし。

 

 

出来るかぎり、後悔を残さないように

前を向いて歩こうと思います。

 

 

 

じいちゃん、大好きだよ。