ブログ4日目 手放しと軸

 

ちまたのスピリチュアルでは

 

「手放す」ということをよく言います。

 

私が感じる感覚では

手放すよりゆるめるって感じかな。

 

ポイポイ捨てるとゆうよりは

張り詰めた糸をゆるめるとゆうか

そもそも全ての感情に良い悪いもない。

いちいち良いか悪いかだなんて全てにおいて

執着しないってことだと思います。

 

 

自分の中心に軸があって

その周りに渦があるかんじ。

 

軸の真ん中にいるのは「今ここ」「ニュートラル」

その軸からズレた時、簡単に周りの渦に飲まれる。

 

渦では、思考や感情がひっきりなしに

飛び交ってる。

 

そこに入ってしまうと、我を忘れた状態になるとゆうか、もろ飲まれてそれらと一体感すらある。

思考や感情に飲まれ、それら自体が

自分だと思い込み、それは意識が眠ってる状態と言ってもいいと思う。

 

 

軸は大切。

 

そもそも自分の軸を持たず、人の軸で生きている人もたくさんいるから、当たり前だけどそれでは自分の軸がいつまでも育たない。

人の軸で生きてることも、自分の中心の操縦席に人を乗っけて走ってることも気付けない人もいるわけだ。

 

結局のとこ、誰かがどうだとか関係ない。

私はどうしたいか。

私はどうありたいか。

 

 

 

もう、こう思われるのが怖いだとか

これ言ったら怒られるとか

嫌われたくないとか

人がこっち行くから自分もとか

人からこう聞いたからとか

そんな判断基準は古いね。

 

それだとどんどん苦しくなる。

 

 

 

スピ系と言われてる人達の中にも

自分の見たくないものに向き合わず

逃げの為のスピリチュアルにハマってる人も多い。

 

自分の全てを赦して開放するって意味の手放しと
ただの逃げからの手放しって
まったく違うよなぁと思う。

 

全てを直視して逃げないから
本当の意味で手放せるだと思うし

 

直視するのが怖いからとか

感じたくない恐れからの逃げの手放しだと

手放せるはずがない。

だって恐れから握ってることにも気付けないもん。
また違う形でまわってくるだけだ。

 

 

向き合うのは常に自分だ。

 

いちばん大切にしないといけないのも自分。

 

自分を蔑ろにしてるから

人からも蔑ろにされる。

 

自分のことは自分で満たす。

 

そんなのが当たり前になってくんだろな。